セラピストとお客様の特殊な関係

もみほぐしマッサージでお客様の身体を触らせていただく。そしてお客様は、私たちセラピストにその身体を触らせる。そこには一種独特な信頼関係が存在しているものと考えます。それは単に物を売る、サービスを提供する、といった他の仕事には見られない、とても特殊な関係です。この信頼関係が得られるほど、お互いは満足を感じます。もみほぐしで行われる身体接触には、とても不思議な共鳴現象があるように思われます。

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お客様の疲れやコリは、指や手、肘を通じてセラピストに伝わります。癒し手が発する正のエネルギーは、相手のコリや疲れなどの負のエネルギーを鎮静します。互いの信頼関係があると双方のエネルギーがうまく交流し、施術にともなう能動者のパワーが受動者の身体に注がれる様になります。お客様はぐっと楽になります。

身体代償

しかし時として、お客様の身体に溜まっていた負のエネルギーが、それを癒したセラピストの身体にしばしば転移することもあります。オカルト的な表現をあえて用いるなら、それは「憑依」と呼べる現象です。疲れやコリをもたらしていた負のエネルギーが、身体の接触を通じて、お客様が楽になる代わりにセラピストへと移り込んでくるのです。

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そういった現象を幾度か体験すると、この仕事は結局のところ、自分の身体を代償にお客様の身体を楽にしているのではないか、という疑念にたどり着きます。それは単に物を売る、サービスを提供する、といった他の仕事にはありえません。この考え方を「信頼関係にもとづくセラピストの身体代償」、あるいは単に「身体代償」と呼ぶことにします。

身体代償という価値観を抱くようになって、私のもみほぐしマッサージに対する様々な物の見方や考え方が変わりました。この仕事の目的や方向を見定める判断材料にもなりました。

世界一贅沢な仕事

医者は訪れた患者を拒むことはできません。求めに応じて診察し、治療を行います。しかし、もみほぐしやオイルマッサージのセラピストは違います。相手を信頼できないのなら施術を拒むことが許されます。

金銭という対価を支払うお客様の側にすれば、自分を拒むなど想像もできないことです。またお客様志向、お客様第一主義といった昨今の風潮の中で、顧客の選り好みをするのは一般の仕事であれば到底考えられません。

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しかし何度も述べるように、私たちが提供するのは容器に詰められた日用品でもなければ、クリーニングを機械で済ませた洋服でもありません。単に物を売り、サービスを提供するのではなく、自らの身体を代償にお客様を癒す仕事だからこそ、嫌な相手を拒むことが許されます。業務委託契約を通じ、個人事業者という立場でサロンと関わるセラピストであれば尚更です。

本来はあらゆる場面で尊重されるはずの顧客を、この仕事は、自分が嫌なら拒むことができる。それは凄いことです。ある意味これは、世界一贅沢な仕事なのかも知れません。

綺麗ごとでは済まされない?

世の中にはできるからと言っても、実際にはやらない、あるいはやれないことが多々あります。綺麗ごとだけでは済まされなかったりもします。
たとえ嫌なお客様であっても我慢して施術しなくてはならない、という指摘があるかも知れません。その理由の最たるのは、仕事がやはり生活の糧であることでしょう。指名客も少ない新人セラピストであれば、収入を得るためにお客様の選り好みをする余裕はありません。また事業者ではなく、社員として月給で雇われているセラピストであれば、個人よりも会社の論理が優先されるのが普通です。

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拒むことができると言われても実際はできない。もしそうなら世界一贅沢どころか、この仕事は反対に、世界一過酷です。あらためて述べます。嫌な相手の施術を我慢してやる必要はありません。自分のためにも、相手のためにも、もっと言うなら自分が働くお店や会社のためにも、嫌なお客様の施術はすべきではありません。

信頼関係のあかし

セラピストとお客様との一種独特な信頼関係とはどういうものなのでしょうか。それができたかどうかは、施術を終えた時に分かります。お客様には身体が楽になったという満足感、セラピストはお客様の身体を癒したという充足感があります。必然的に相手への感謝の気持ちが生まれます。奇妙な言い方をすれば「私の身体を揉んでくれてありがとう(おかげで楽になりました)」、「身体を私に揉ませていただきありがとう(感謝していただきありがとう)」というものです。それは十分な信頼関係のあかしと言ってよいでしょう。

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時間の長さは関係ありません。わずか30分の施術でもそう感じられることがあるのは、互いの身体が触れ合い、正負のエネルギーが交流する中で二人が共に馴染んだことによります。技術は確かに影響しますが、セラピストとしての真摯な姿勢や態度が勝ります。お客様も同様で、自分はお金を払っている側だから奉仕されて当然と、感謝の気持ちを抱かない人はおおむね嫌がられます。

安堵がもたらすもの

初めてのセラピストにはお客様も一抹の不安を抱かれるのが普通です。表情や態度で相手を伺い知ることはできても、性格や人間性の判断に信ぴょう性はありません。しかし施術が始まって自身の背や腰に受けるセラピストからのエネルギーを感じ、「うん、この人は大丈夫」という安堵感を持たれると、たちまち状況は一変します。それまで無意識に強張っていた身体の余計な力がすぅーっと抜けます。

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そしてセラピストへの信頼が増すにつれ、いつしか「まな板の鯉(の状態)」にも似て、ぐったりと力が抜け、その全身を委ねてくれる様になります。心は身体を楽にします。安堵がもたらすのはお客様ご自身のリラックスであり、それがセラピストの施術のしやすさ、ほぐしやすさにも結び付きます。

反対に「この人で大丈夫なのか」という不信感を持たれたままだと、お客様の身体のどこかに無意識に力が残ります。何をされるか分からない不安がそうさせるのです。その状態のままだと、いくら実力のあるセラピストでも十分な技量を発揮できないでしょう。

身体の接触

身体を触り、触らせるというもみほぐしマッサージなどの行為は、そもそも信頼関係を前提にしなければ成立しません。セラピストがお客様の身体を施術目的以外の興味で触り、それとは逆に、お客様がセラピストへのセクハラ、もしくはセクハラまがいのボディタッチをするなどは絶対にあってはなりません。当人は罪悪とも感じない軽い気持ち、ほんの出来心であったとしても、相手からの信頼感は一瞬で消失します。

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お客様が自分に対して抱く不信感は、相手をきちんと見ていれば、施術前にそれとなく分かります。(なんだ野郎かよ。お前で大丈夫か?)。
しかし施術が始まって安堵感を覚え、心身の力が抜け、最後に満足感を確認できると一変します。当初とは別人のように感謝の言葉を口にされます。
一般の信頼関係では不信感を払しょくするのは大変なことです。指先と身体の触れ合いには、不思議な効果があります。たとえ言葉を交わさなくても、相手の気持ちが肌を通じて伝わってきます。

根底にあるもの

セラピストが施術を拒むことができる嫌なお客様とは、この仕事における信頼関係が持てない相手のことを指します。具体的には個々によって異なりますが、それがどのような内容であれ、早ければたった一度の施術で分かります。
疲れやコリを癒すという目的ではなかったり、自分は顧客だという憮然とした人間性に嫌気がさしたり、懸命にエネルギーを注いでもそれを受け止めようとはせず、真っ向から自分を否定する(信頼しようとはしない)相手などです。まれにお客様は自分を信頼してくれますが、自分としては信頼できないケースもあり得るかも知れません。

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この仕事の根底にあるものは信頼関係です。信頼関係の持てないお客様への施術は、到底その本来の目的を果たすことができません。無理強いはセラピストに苦痛なだけではなく、お客様にも良い影響を及ぼしません。お店は信用を無くし、お客様ばかりかセラピストをも失ってしまいかねないでしょう。

純粋の感謝

お客様から感謝される仕事は多くありますが、この仕事は、ここでも群を抜いた特殊性を持っています。一般の仕事では、スタッフに「ありがとう」の言葉があっても、その実は提供された商品やサービスへの感謝が込められています。中心にあるのは、決してスタッフの行為ばかりではありません。

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もみほぐしやオイルマッサージなどでは異なります。お客様からは施術料金を頂いています。そのうえ心から「ありがとう」と感謝されます。それはセラピストだけに贈られる言葉です。大げさかも知れませんが、その瞬間は世界でただ一人、自分だけが感謝の中心にあります。普通のケースとは違う「純粋の感謝」と呼べるものなのです。

口にする言葉は違いますが、「おかげで楽になりました。(私の身体を揉んでくれてありがとう」、「それは良かったです。お疲れ様でした。(身体を私に揉ませていただきありがとう)」という信頼関係の成果です。

自己の実現

対価としての報酬や、就業が比較的自由だという仕事上の魅力はもちろんあります。この仕事は年齢や学歴にも左右されません。しかし、自分を代償にお客様を癒しているという「身体代償」を多くのセラピストが厭わない理由は、代償の向こう岸に「純粋の感謝」が控えているからだと思います。身体が触れ合うことでセラピストの意思は伝わります。それが素直な感謝の気持ちをお客様から引き出させるのです。

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優しい人でないと結局はこの仕事を続けて行くのは難しい、と真剣に考えたことがあります。究極には身体を代償としていることから、ともすれば自己犠牲や、他人奉仕と捉えてしまいがちです。しかし優しさは確かに必要ですが、感謝される喜びは自己実現に他なりません。犠牲や奉仕ではなく、自分の為に頑張れるのです。